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「ティント・ペスケラ」のアレハンドロ・フェルナンデス氏逝く Muere Alejandro Fernandez-Creador de Tinto Pesquera

去る5月22日(土)、アレハンドロ・フェルナンデス氏がサンタンデールで亡くなりました。88歳でした。

 もともと農機具の販売をしていたアレハンドロ・フェルナンデス氏は、自分の持っていた畑をもとにして徐々に畑を増やしていき、1975年、ペスケラ村で「ティント・ペスケラ」を創設。妻のエスペランサ・リベラとともに、カスティーリャ・イ・レオンらしさのある質の高いワイン造りを目指していました。1982年に原産地呼称リベラ・デル・ドゥエロを立ち上げた数少ないボデガの一つでもあります。その後、4人の娘、オルガ、ルシア、マルイ・クルス、エバも加わり、DOリベラ・デル・ドゥエロ内のロアに「コンダド・デ・アサ」、サモラに「デエサ・ラ・グランハ」、ラ・マンチャのカンポ・デ・クリプタナに「エル・ビンクロ」を作ったため、よく4人の娘のためにボデガを1つずつ作ったと言われていました。

 彼のワインはロバート・パーカーが絶賛したことから世界的にも名を馳せ、歌手のフリオ・イグレシアスや俳優のアントニオ・バンデラスといった有名人から王室、政財界にも多くのファンがいました。

最近はボデガの運営は離婚したエスペランサと上から3人の娘の手にゆだねられ、醸造家になった末っ子のエバがワイン造りを引き継ぐべく、アレハンドロ・フェルナンデスと共に行動していました。そんなエバと共に住処を移したばかりのサンタンデールで亡くなったのでした。

いつも何でも自分で先頭に立って行動していたアレハンドロ・フェルナンデス氏。1990年代、「コンダド・デ・アサ」のボデガがまだ完成していなかったころに伺ったときからのお付き合いでした。最後にお会いしたのは2017年。当然のごとくご自分で車を運転して畑に連れて行って下さり、嬉々としていろいろ語ってくださった姿は、昔と全然変わらず、ちょっと粗削りながらやさしい笑顔で、元気いっぱいでしたが・・・。

スペイン・ワインの価値を世界に広めたパイオニア的存在の方でした。ご冥福をお祈りいたします。

 

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