「ラベントス・イ・ブラン」の社長、マヌエル・ラベントス氏にお会いする機会が持てました。
“ラベントス”という名前から、カバに詳しい方は、閃くことと思います。1872年、サン・ダドゥルニ・ダノイアで、スペイン初の伝統的製法、瓶内二次発酵製法によるスパークリング・ワインを製品化した「コドーニュ」のジョセップ・ラベントスの名は、スペイン・ワイの世界では忘れることができません。
ラベントス家は1497年からサン・ダドゥルニ・ダノイアでぶどう栽培を続けてきていました。一方、コドーニュ家の歴史は1551年に始まります。1659年、コドーニュ家の娘アンナがミケル・ラベントスと結婚します。彼女がコドーニュ家の名を継ぐ唯一の人物だったので、社名はコドーニュとしました。そのため、1872年、ジョセップ・ラベントスが発売した瓶内二次発酵製法のワインはコドーニュの製品であり、現在もコドーニュ社はラベントス一族の手中にあります。
マヌエル・ラベントス氏の父、ジョセップ・マリア・ラベントス・イ・ブランはコドーニュ家6人兄弟の長男として1922年に生まれました。1949年、父親の後を受け、コドーニュ社の社長に就任し、カバの品質を向上し、コドーニュ社の名を上げていきました。1982年、同社を退社。カバの原産地呼称統制委員会会長の地位に就きました。
彼は常にペネデスの特性を持った、品質の高いカバ造りを志していました。良いカバは良い畑がなければできないというのが持論でした。1986年、ジョセップ・マリアは息子のマヌエルとともに、先祖代々がぶどうを栽培してきたサン・ダドゥルニ・ダノイアの地に、現在の「ラベントス・イ・ブラン」を創設し、土地を表現した、品質の高いカバ造りを目指したのでした。けれども同年、惜しくも急死。跡を継いだのが、マヌエル・ラベントス氏です。
彼の話の中には常に「父は」という言葉が出てきます。特に、90年代になって自分の土地「ラベントス・イ・ブラン」のぶどうで造ったカバを売り出した時の苦労も、そして現在の自分のワイン造りの話をするときも、「父が原産地呼称統制委員会の会長だったので何ですが」と必ずひとこと付け加えます。かつて、このタイプのワインが造られ始めた時、カバという原産地呼称は存在しませんでした。原産地を名乗らない変則的な原産地呼称。「ラベントス・イ・ブラン」は2012年、原産地呼称カバを名乗るのをやめました。 彼の考え方ははっきりしています。父の志を秘め、サン・ダドゥルニ・ダノイアの特性を持った、質の高い、瓶内二次発酵製法のスパークリング・ワインを造ることです。その静かななかに強い心意気が感じられる語り口が印象的でした。 「ラベントス・イ・ブラン」では、自然と動植物と人間がひとつになって畑が作られていたペネデスの昔からの伝統に則った農業に取り組んでいます。全てが有機のビオディナミ農法です。90haの所有地の50haがぶどう畑です。ノイア川のほとりで、ロバも馬も、小鳥たちも、ハーブも、みんな元気に生活しています。栽培される品種はチャレロ、マカベオ、パレリャダ、モナストレルを主とする地元の品種のみ。 畑は5つの区分がありますが、そのうちラ・プラナ、セラル、バルベラの3つを見せていただきました。ラ・プラナは石灰分の多い粘土質で、40~45年のマカベオとチャレロが植えられています。一方セラルは石ころの多い土壌で、こちらもマカベオとチャレロで、60~70年だそうです。ベルベラは少し赤みがかった色の土で、チャレロとパレリャダを栽培しています。この辺りはもともと海底だったのが隆起したため、貝の化石がたくさん見つかります。 アノイア川は通常は車で渡れるそうですが、前日に降った雨のため水量が増していて、渡れませんでした。周囲は雑木林で緑がいっぱいです。 自然が詰まったワインは、どれも繊細で優しい口当たりでした。 L’Hereu マカベオを骨格のベースにし、チャレロ、パレリャダとともに造る。18か月熟成。クールでエレガント。 De Nit マカベオ、チャレロ、パレリャダと、セラルのモナストレルを使用。18か月熟成。モナストレルで複雑み。 De la Finca 海底の貝や甲殻類の化石が入った土壌のぶどう。チャレロ、マカベオ、パレリャダを使用。30か月熟成。骨格しっかり。ミネラル感。