9月末、ロシアのワイナリーを訪問しました。きっかけは今年の1月、マドリッドのガストロノミーフェア「マドリッド・フシオン」にロシアの産物のブースがあり、そこに出展されたワインを試飲させてもらったことです。ヨーロッパ品種のほか、ロシアの地場品種の赤と白があり、品質の高いものでした。日本ではまだロシアのワインの知名度はかなり低いかと思います。けれども、これまでも、スペインで知り合ったロシア人の友達には、素晴らしいロシアのワインを紹介してもらっていたため、さらに興味が深まり、ロシアのワイナリーの畑や生産設備を見学する機会を探していたのですが、ついに決行しました。
地図を見ると、ロシアの黒海沿岸地方は、コーカサス山脈を挟んで南に、最近クヴェヴリKvevri、Квевриのワインで売り出し中のグルジア(ジョージア)、西に、1890年代にロシア皇帝が、近くのリヴァディアに建てた避暑用宮殿にワインを提供するために作ったワイナリー「マッサンドラМассандра」があるクリミア半島があります。位置的にワインができないわけがありません。
イグリスティエ・ヴィナIgristie Vina, Игристые Вина ≪スパークリング・ワイン・ボトラー≫
今回、まずはモスクワからサンクトペテルブルグへ飛びました。サンクトペテルブルグという名前は長いので、最近ロシア人の間ではペテルブルグと呼ばれています。そこで、ここでもサンクトは省略させていただきます。ではなぜ、黒海沿岸ではなく、ペテルブルグに行ったのかというと、ロシア有数の大手ワインメーカーの所在地だったからです。
ただ、真っ先に頭に浮かんだのは、「ペテルブルグでブドウは栽培できない」ということ。北緯59度57分は寒すぎます。ならば、ブドウ果汁か濃縮果汁かを買って醸造しているはず・・・。イグリスティエというのはスパークリングという意味ですが、スパークリングだけしか造っていないのでしょうか? 疑問と期待を胸に、訪問しました。
ペテルブルグは人口500万人を超える大都市で、エルミタージュ美術館やマリーンスキー劇場など、歴史的、文化的に重要な観光スポットも多い、美しい街です。その中心地からネフ川を渡り、交通渋滞も入れて、30分ほどのところに「イグリスティエ・ヴィナ」はありました。周囲は集合住宅群ですが、ワイナリーの敷地は広大で、入り口に立って振り返ると、対岸に、白壁にブルーの配色、玉ねぎ形のドームを被ったスモーリニー聖堂の美しい姿が見られます。
入るとまず、地下に案内されました。「もともとはドイツ人が作ったビール工場でした」と、意外な展開です。その頑丈で広大なスペースには、外側を断熱材で覆った横置き式のかなり古いタイプのものからステンレス製の最新のものまで、様々なタイプのワイン貯蔵タンクが並んでいます。温度は年間通して15℃とのこと。その一角にボトルがきれいに並べて入れられたギロパレット用のケージが収納されたスペースがありました。これは昨年から造り始めた瓶内二次発酵方式のスパークリング・ワインで、製品はまだ市場には出ていません。
次の工程を見に外へ出ると、庭に、1876年創業のビール工場の名残の高い煙突が立っていました。創業後、この工場の所有者は2度変わり、革命後は国営になりました。スパークリング・ワインを作り出したのは、1945年のこと。革命前、高級なシャンパン(スパークリング・ワイン)は貴族や裕福な人々の飲み物でした。けれどもソビエト政権下、国民の誰もが安くスパークリング・ワインを楽しめるようにしようという考えのもと、この工場で生産を始めたのでした。最初のボトルが市場に出たのは1947年のことでした。ソ連崩壊後の1992年、私有化され、現在の「イグリスティエ・ヴィナ」なりました。
屋外の大きなタンクの横の建物に入ると、そこはスティル・ワインをスパークリング化する工程でした。ここも大きなステンレスタンクが列を成して並んでいます。タンクから試飲させていただくと、泡も元気な、飲みやすいワインでした。
ボトリングラインも、さすが国土の広い国だけあって、長いラインが余裕をもって設置されています。
見せていただいたコースからも明らかなように、「イグリスティエ・ヴィノ」は、ブドウ栽培やワイン造りから始めるのではなく、出来上がったワインを購入して、スパークリングにし、ボトリングして販売する会社です。原料になるワインは外国産が主で、世界各国のワイン産地の何社かと取引していますが、毎年買い付けの専門家が各ブロバイダーを巡って品質をチェックして選んでいます。今回の現場の方は「スペインから買っています。確かバレンシアから出港しているはずです」とも言っていました。品種はシャルドネ、ピノ・ノワール、ソーヴィニョン・ブランなどとのこと。スパークリング化の方法はシャルマ(タンク内2次発酵)方式で、二次発酵にはフランス製のドライイーストを使うそうです。二次発酵させた後、そのまま一定時期保持し、冷却処理、ろ過を行い、ボトリングし、出荷します。
メインのブランド「レフ・ゴリツィンLev Golitsyn、Левъ Голицынъ」は、ロシアで最初にスパークリング・ワインを造った皇帝一族の人で、彼に敬意を表して付けられているとのこと。
試飲は「レフ・ゴリツィン」シリーズのエクストラ・ブリュット(リースリング)、ブリュット(ソーヴィニョン・ブラン、ピノ・ブラン、シャルドネ)、セミドライ(同左)、セミスイート(同左)、ロゼ(ピノ・ブラン、シャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、カベルネ、メルロー)のセミスイートでした。エクストラ・ブルット以外、各カテゴリー内では甘いほうではないかと思いました。ロシアでは甘口が好まれるのかもしれません。
また、2年前からはスコッチ・ウィスキーを買い、ボトリングして販売しています。まだ瓶熟中の瓶内二次発酵製法のスパークリング・ワインがいつ発売になるのか楽しみです。
クバン-ヴィノ Kuban-Vino、Кубань-Вино ≪苗作りも含め、一貫したワイン生産≫
次の訪問先は「クバン・ヴィノ」です。クバンというのはロシアのワイン生産の中心的な地域名として知られています。地理的には北コーカサス、つまりコーカサス山脈の北側、クバン川の右岸地帯で、コサックが住んでいた地域でもあります。黒海沿岸地帯を含み、ロシアの中では“南部”と呼ばれる温暖な地域です。冬季オリンピックが開催されたソチは、この地方のほぼ一番南にあります。ロシアのワインの中では知名度が高いスパークリング・ワインのメーカー「アブラウ・デュルソー、Abrau-Durso、Абрау-Дюрсо(1870年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が創設)」があるのもこの地域です。
「クバン・ヴィノ」はクリミア半島に橋でつながるタマン半島とそれに続くアナパ地区に11の畑と3つの生産プラントを持っています。
訪問にあたっては、まずペテルブルグから、一番近い空港があるアナパに飛びました。国内とはいえ飛行時間は約3時間。ほぼ平たい大地の上を飛びます。アナパに近付くと、そこには他では見られない景色が。アイロンをかけたかのようにまっ平らな大地に、細くくねった川が流れ、やはりアイロンで引き延ばしたかの如く平たく広がったリマンлиманと呼ばれる、海水が閉じ込められた潟がいくつも見えます。
到着したアナパはまさに海浜リゾート地でした。ホテルと海の間にはお土産屋さんが並び(毛皮の帽子や襟巻きも売られています)、遊園地もあって、夏はさぞ賑わうであろうことが想像されますが、9月は既にオフシーズンで、海辺も地元の人が大半のようでした。その一角以外は、緑の多い静かな町で、散歩には最適です。
町の中心にある公園の中の通りに、蜂蜜やチーズなど自家製農産物を売る屋台がいくつか出ていて、なかにワインの店が3軒ありました。その一軒「ヴァリマВальма」はボトルのデザインもなかなか。全部試飲して、メルローがおいしいと言ったら「これはモスクワのワインコンクールでグランプリをとったんだ。」と言われました。アナパの近くで造っているそうです。ラベルにファミリー・ワイナリーと書いてあるところを見ると、最近ロシアでも流行っているガレージ・ワインメーカーかもしれません。
「クバン・ヴィノ」訪問の日。朝の10時にアナパのホテルを出て、北西にあるタマン半島に向かって走ること1時間あまり。到着したのは、見渡す限り平坦で誰もいない原野に建っている何の飾り気もない白な四角い建物。それがユージナヤЮжнаяというプラントでした。
ユージナヤは、南は黒海、北はアゾフ海に出る手前のタマン湾に挟まれたタマン半島の先端部分にあります。ここではブドウの苗の栽培をしていました。「クバン・ヴィノ」は苗木作りから製品の発送まで、必要とされる水を確保し、浄水する設備も含め、ワイン造りのすべての工程を自社で行っているワイナリーとしてはヨーロッパ随一の規模だとのことです。
現在12,000ヘクタールある所有地のうち8,500ヘクタールがブドウ栽培用で、そのうち6,800ヘクタールがワイン生産に使われるブドウが栽培されている面積で、あとは若い畑と接ぎ木した苗を育てる畑として使用されています。2020年にはブドウ栽培面積を12,000ヘクタールにすることを目指しているとのことです。
畑を案内してくださったブドウ栽培の責任者のマクシム・グルナーMaxim Grunerさんによると、タマン半島は、もとは小島で、2500年ほど前にはギリシャ人がブドウを栽培してワインを造っていたそうです。ただ、この地は黒海とアゾフ海の間にあり、交通の要所だったため、タタール人、モンゴル人、オスマントルコなど様々な民族に支配され、その間ブドウは栽培されていなかったとのこと。ブドウ栽培が再開されたのはロシアの支配下に入った19世紀で、ソ連邦時代には交配種も作られていたそうです。
ただ、クラスノダール県の北に接するロストフ地方Ростовская областьのドン渓谷Долина Донаにはフィロキセラに害されていない自根の原種が残っていて、現在、ロシアでワイン生産用に栽培されている原種とされる品種はロストフのドン渓谷から持ってこられたものをもとにしているそうです。地場品種は数々あるのですが、その代表が黒ブドウのクラスノストップ・ザラトフスキーКрасностоп Золотовскийとツィムリャンスキー・チョールニーЦимлянский Черный。白品種ではシビーリコフスキーСибирьковскийが挙げられます。この3品種はブレンドにも使われますが、それぞれ単一で質の高いワインが造られています。ここではコーカサス地方原産の品種で、グルジアやアゼルバイジャンで多く栽培されているものも含め、20品種ほどの地場品種を栽培しています。全体的には、現在100品種ほどを栽培していて、そのうち22品種をワイン生産に使用しているとのこと。「栽培はできるけれど、難しいのはそれを美味しいワインに造り上げることです」とマクシムさん。
畑はちょうど、収穫末期。9月末でほぼ終わろうとしていました。通常は8月に始まって3か月ほど続くのですが、2018年は夏が暑かったため、全ての品種が一挙に熟してしまったので、収穫が追い付かず、大変だったそうです。大半は機械収穫で、ここでは16台使用されています。手摘みするのは垣根づくりの支柱がコンクリートの畑と、摘み残しを摘む場合だそうです。畑では巨大な収穫機が最後のひと踏ん張り。手摘みのチームも到着して、畑へと散っていきました。
次は3つある生産プラントの一つで、タマン半島のほぼ先端にある「シャトー・タマンChateau Tamagne、Шато Тамань」へ。ちょうどブドウが運び込まれ、除梗破砕が行われていました。7ラインあって、一番忙しい時期は3交代制で昼夜を問わず稼働しているそうです。1956年創業当時は、ソ連の体制下、ワインの生産工場として作られた工場で、当時の設備もまだ少し残っていますが、近々それも最新設備と入れ替えられるそうです。
2003年にロシアの大手「アリアントАриант」ホールディング傘下に入ったことで、全工程の自給体制が整いました。
「クバン・ヴィノ」は3つのワイン生産工場で年間5600万本を生産しています。ブランドは「シャトー・タマンШато Тамань、Chateau Tamagne、アリストフARISTOV、ヴィソーキー・ベレグВысокий Берег、クバン・ヴィノКубань-Виноがあります。
翌日訪れたのは「クバン・ヴィノ」が2016年に「ルースキイ・アゾフ」という2009年建設された最新式のワイナリーを購入し、リニューアルしたものです。ここではスティル・ワインとスパークリング・ワインを造っています。樽熟庫も立派。樽はフランス産、アメリカ産、ロシア産のオークを主に使っていますが、3年前にリースリングをアカシア材の樽で熟成し始めました。初年度は1樽、2年目は5樽、現在は40樽あります。スパークリングはシャルマ方式と瓶内二次発酵の伝統的製法と両方で造っています。
ロゼのスパークリングがシャルドネ、リースリングとサペラビ(黒ブドウ品種)のブレンドだったり、ビアンカ、ピノ・ブラン、シャルドネ、マスカット・オブ・ハンブルグのブレンドだったり、他の国ではあまりなさそうな組み合わせです。スパークリング・ワインが好きなロシアらしく、どれも飲みやすいタイプです。
スティル・ワインでは、セレクトのシリーズがバランスの良さで優れていました。白の「シャトー・タマン・セレクト・ブランШато Тамань Селект Блан」はグルジアの品種ルカツィテリРкацителиとウクライナの品種ツィトゥロンニイ・マガラチャЦитронный Магарачаのブレンド。赤は「シャトー・タマン・セレクト・ルージュШатоТамань Селект Руж」で、クラスノストップ・アナプスキー Красностоп Анапский(地場品種のクラスノストップのうちアナパで冬を越したものを増殖)とメルロー、サンジョベーゼをブレンドしたもの。
その他、地場品種の単一品種ものや、他の国では考えられない品種のブレンドがあって興味が尽きません。
レフカディア、Lefkadia、Лефкадия ≪地場品種とテロワールにこだわる≫
朝10時、アナパを後にして、次のメーカー「レフカディア」へ向かいます。ここからは内陸のコーカサス山脈へと向かっていきます。これまで平らだった台地から、だんだん緑が増えていき、30分もすると標高も徐々に上がっていき、緑の雑木林の中を走っていきます。さらに緑は増し、11:10ごろにはクリム地区に入ります。目的地、モルドヴァンスコエ村は、山間リゾート村のような、庭付きのかわいい家が立ち並ぶ集落でした。ここに「レフカディア」はホテルを持っています。
ワイナリーは車で数分のところにありました。到着すると、入り口はレストラン。総ガラス張りのダイニングの向こうには、ワイナリーの所有地が広がっています。ここはレフカディア渓谷Долина Лефкадияといって、コーカサス山脈の北面を背にした一帯で、緑に囲まれていまます。「見渡せる限りすべてがうちの土地です。」とオーナーのミハイル・ニコラエフMikhail Nikolayev氏。彼はモスクワの投資家で、この地域がワイン用のブドウ栽培に適していることから、2006年、高品質のワイン生産を目的としてワイナリーを開設しました。新しいだけあって、最近スペインでもよく使われているアンフォラや卵型のコンクリート容器、地下に埋められたクヴェヴリまで揃っています。80ヘクタールあるブドウ畑はなだらかな丘の起伏に沿って作られています。黒海からは山で隔てられていて寒暖差が大きく、土壌は石灰質、砂質、粘土質といろいろあります。このテロワールがワイン造りには最適とのこと。オーガニックの畑ではカベルネ・ソーヴィニョンとプチ・ヴェルドを栽培しています。品種のヴァリエーションは豊富で、主要フランス品種は白も黒もなんでもあり。グルジアのムツヴァネМцване、ルカツィテリ、サペラヴィから、ツィトロンというハイブリット品種とか、スペインのテンプラニーリョまでそろっています。「サウク・デレСаук Дере」ブランドのリザーヴにはカベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、ジンファンデル、テンプラニーリョが使われていました。これはバランスのとれた風合いと、滑らかな口当たりです。サペラヴィのシングル・バレルというのもあり、濃い色、凝縮したフルーツ感、適度な酸味とやわらかなタンニン、とてもバランスの良いワインでした。クラスノストップも、ワイルド感のあるしっかりしたワインで面白かったです。
これからどういった形で世界に出ていくのか楽しみです。
レフカディアの訪問を終えて、さらに南の国会のリゾート地ゲレンジックへ。その道々、地元の運転手さんは、「この辺りは、昔は全部ブドウ畑で、たくさんの人が働いて、みんなが安くておいしいワインを飲んでいました。でも今はモスクワから来たお金持ちが土地を買い占めて高いワインを造っているだけで、我々は飲めません」とかボヤいていました。ただ、リゾート地のアナパでもゲレンジックでも、街角に小さな樽入りや、バッグ・イン・ボックス入りの様々なアルコール飲料を売っている小さな店があって、地元の人たちはごく普通に、通りがかりに立ち寄ってはコップ一杯の立ち飲みを楽しんでいました。こういった店は容器を持っていけば量り売りで買うことができます。ただ、名前を見ただけでは中身が何なのか想像できないようなものが多く、安全なところで、メルローを飲んでみました。私の知っているメルローとはちょっと違うかもしれませんが、1杯300円ぐらいなので、文句は言えません。
街には今回訪問したワイナリーの製品他ロシアのワイナリーの製品をズラッと並べて売っているワインショップもあり、値段も日本のスーパーのワイン感覚で、とてもおいしいワインが飲めました。
今回訪問した黒海沿岸地域はワインの産地に近いからかもしれませんが、ロシアの人々は気軽にワインを楽しんでいるようでした。フレッシュなフルーツや野菜も豊富で、市場はカラフル。豊かなリゾートライフを送れそうです。
今回訪れた3つのワイナリーはそれぞれ特性の異なるタイプだったため、ロシアのワイン産業の多様性の一部を垣間見た感じがしました。町の人々のワインの楽しみ方を見ても、まだいろいろな面白そうなことがありそうで、これからもロシアのワインから目が離せません。