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シェリー・アカデミー研修ツアー2024-I Sherry Academy Tour 2024-1

2024年1月22日(月)から26日(金)まで、コロナのパンデミア後初めて、3年ぶりに「シェリー・アカデミー研修ツアー」を実施しました。

これは、遡ること2000年、日本ソムリエ協会JSAさんに原産地呼称シェリー&マンサニーリャ統制委員会 Consejo Regulador de las DD.OO. Jerez y Manzanillaによるシェリーのセミナーを日本で行いたい旨ご相談に伺ったところ、全国の支部でセミナーを行ってくれるのなら協力しましょうとのことで2001年に日本全国8か所でセミナーを実施したことが始まりでした。ご協力いただいた日本ソムリエ協会さんの方々をシェリーの産地にご招待したのがシェリー・アカデミー研修ツアーの起源と言っていいでしょう。

2002年、原産地呼称シェリー&マンサニーリャ統制委員会とシェリー産地生産者連盟 FEDEJEREZとともに、対日プロモーションのためのシェリー委員会 Sherry Committeeを立ち上げました。そして対日プロモーション継続のためにシェリー委員会日本代表として明比淑子が発案、実施したのがベネンシアドールの公式資格称号認定試験Examen de la Titulación de Venenciadores Oficialesです。その最優秀ベネンシアドールをシェリーの産地にご招待するに当たり、経費自己負担でご興味のある方が参加できるツアーにしたのが「シェリー・アカデミー研修ツアー」です。

ベネンシアドール公式資格称号認定試験は本2024年実施で20周年を迎えます。

「シェリー・アカデミー研修ツアー2024年」の日程は1月22日17:00ヘレスの空港到着から始まりました。今回はシェリー産地の中心地ヘレス・デ・ラ・フロンテラに5泊し、サンルーカル・デ・バラメダ、エル・プエルト・デ・サンタ・マリアの主要3都市だけでなく、チピオナ訪問もプログラムに入れました。これはモスカテルの本場であることもさることながら、2022年にシェリー仕様書が改訂になり、これまで前出3都市で熟成したワインしかシェリーを名乗ることができなかったのが、かつて熟成地としてしか認められていなかった他の6都市からもシェリーという名のもとにそれぞれのワインを出荷できるようになったからです。

<1日目>

研修は到着当日の夜からスタートです。ヘレスの町中にある「ルスタウEmilio Lustau S.A.」社を訪問しました。1896年、裁判所の秘書官だったホセ・ルイス・ベルデホJosé Ruiz-Berdejoが趣味で、一家の所有地でブドウ栽培を始めたのが起源です。出来たワインは、ワイン出荷業者に販売していました。これがいわゆるアルマセニスタAlmacenistaです。

1940年代、娘婿のエミリオ・ルスタウ・オルテガEmilio Lustau Ortegaがヘレスの旧市街にボデガ(熟成貯蔵庫)を移し、1945年にアルマセニスタではなく、自社製品を独自のブランドでボトリングし販売する熟成出荷業者になっています。

ルスタウのアルマセニスタ・シリーズが登場したのは1981年のことです。販売権を持たないけれど、高品質のワインを熟成しているアルマセニスタから買い上げたワインを、他のワインと混ぜることなく単独で、その素性をはっきりラベルに表記して売り出しました。このシリーズは現在も高く評価されています。ルスタウは1990年、エル・プエルトに本社を持つシェリーのメーカールイス・カバリェーロLuis Caballeroの傘下に入りました。そして2000年、ルスタウは19世紀に建てられた熟成庫を6棟持つ現在のボデガに移転しました。ボデガもワインも、常に洗練度の高さを維持しているボデガです。

フェデリコ・サンチェスFaderico Sánchezさんが温かくもてなして下さり、今回ツアーにご招待した昨年の最優秀ベネンシアドーラの割貝理加さんには記念の実にベネンシアがプレゼントされました。

 

<2日目>

この日はシェリーの原産地呼称統制委員会で、会長、セサル・サルダーニャCésar Saldañaさんに仕様書の改定された箇所を中心に講義をお願いしました。最近ワイン業界では外すことができないテロワールですが、シェリーの世界ではこれまであまり詳しく語られることはありませんでした。それを見直す動きがあり、今、シェリーの産地の伝統的な畑の区画、「パゴPago」が再認識されています。そのため、今回のプログラムには畑の見学を4か所(うち1か所は当日キャンセル)組み込みました。

講義の後は、シェリーの代名詞ともいえるティオ・ペペ Tio Pepe のメーカー「ゴンサレス・ビアス González Byass」社へ。

ボデガはヘレスの旧市街の一角を成す大聖堂の隣、アルカサル(アラブの城塞)の前にあります。この3か所の中心に1835年、ボデガを設立したマヌエル・マリア・ゴンサレス・アンヘル Manuel María González Ángelの像が立っています。

この日は醸造家のシルビア・フローレスSilvia Floresさんが案内してくださいました。彼女の父親はゴンサレス・ビアス社の顔と言ってもいい醸造家、アントニオ・フローレスAntonio Floresさんです。貴重なシングル・ビンテージ・シェリーやパルマのシリーズのワインの選択をなさるのもアントニオさんです。

女王イサベラ2世の来訪に合わせてグスタフ・エッフェルの弟子デザインで建設したという貝殻型の大きなボデガ「ラ・コンチャ La Concha」、その際、女王が季節外れにブドウ踏みを見たいと所望したため市民からかき集めたブドウで作ったワインを納めたキリストと12使徒の大樽など、ボデガを見学した後、ベネンシアドールの実演と共演。最後は、普通は入れない同社のワイン・コレクションを納めた特別室で試飲とマリアージュをさせていただきました。しかも超限定出荷のシングル・ビンテージ・シリーズのなかからアモンティリャド 1975 Amontillado 1975年を開けてくださいました。ゴージャスです。準備して下さった日本市場担当のトニ・バテットToni Batetさんに感謝します。

 

夜は、やはりヘレスにある「ロマテRomate」社を訪問。

1781年、フアン・サンチェス・デ・ラ・トーレJuan Sánchez de la Torreが、サンチェス・ロマテ・エルマノスSánchez Romate Hermanos(兄弟で運営する会社)の基を作って以来、今に至るまでヘレス出身のファミリーの手によって維持されています。町の真ん中にありながら、流行のエノツーリズモには手を出さず、黙々とシェリーを熟成しています。このボデガは1887年に4代目が作り出したブランデーの「カルデナル・メンドーサCardenal Mendoza」で知られていますが、シェリーも安定した品質で定評があります。日本に入っているのはアモンティリャドのNPUやオロロソのドン・ホセ Don José がある「スペシャル・リザーブReservas especiales」のシリーズです。ヘレスらしい、しっかりした骨格を持つワインです。

今回、ボデガの国際市場担当のホセ・ルイス・オヘダJose Luis Ojedaさんに「時間に遅れないように」と言われました。スペイン人に遅れるなと言われたのは初めてです。けれども通常ボデガは午後は時間外なので開けないところ、わざわざ出てきて案内して下さるので、もちろん時間ピッタリに到着しました。

 

<3日目>

朝は統制委員会で広報のベレン・ロルダンBelen Roldánさんからシェリーの造り方の講義があり、引き続き各タイプの試飲をしました。統制委員会がシェリーの各タイプを説明する際に使用する基本的特性を備えたサンプルの試飲は他ではなかなかない、貴重な機会です。

 

講義の後は「ボデガス・イダルゴ・ラ・ヒターナ Bodegas Hidalgo – La Gitana」へ向かいます。

ホセ・パンタレオン・イダルゴJosé Pantaleón Hidalgoが1792年にサンルーカル・デ・バラメダで創設したボデガです。今回は特に畑に注目して、見学をお願いしました。ラ・ヒターナ社は2か所に畑を持っています。1つはヘレスのパゴ Pago「ビルバイナ・アルタBalbaína Alta」にある「エル・クアドラドEl Cuadrado」という区画です。もう一つはサンルーカルのパゴ「ミラフローレス Miraflores」にある「パストラナPastrana」です。

パゴというのはシェリーの産地では伝統的に使われてきた畑の区分のことです。一つのテロワールを持った畑の区画と言ったらいいでしょう。ヘレスの町の周辺には25あります。ヘレスはシェリーの産地の中では内陸にあります。なだらかな丘が連なったような地形です。その頂上部分が石灰質で、真っ白なアルバリサ土壌になっています。「エル・クアドラド」は醸造設備が納められたボデガが一番高い位置(標高100mほど)にあり、その周囲に畑が作られています。ボデガの前に立つと、大西洋が眺められ、海風が感じられます。この時期は、降った雨が丘の傾斜に沿って流れ下るのをせき止めて、土地にしみこませるために、ブドウの樹の列の間に掘られたアセルピアド Aserpiado と呼ばれる穴が見られます。

次は海に近いパゴ「パストラナ」です。こちらは平坦です。同じくアルバリサ土壌ですが、前の週に降った雨を吸い込んでいるので色が暗いとのことでした。こちらの方が海から吹いてくる風が柔らかく、ヘレスよりサンルーカルの方が気候が穏やかだと言われるのが体感できます。

次はボデガです。サンルーカルの町中にあります。とはいえ、当初は海岸際に建てられていた証拠に、住所はバンダ・プラヤ Banda Playa 42 =ビーチ地区42番地です。横の通りをまっすぐ行けば、グアダルキビール川が大西洋に流れ込むビーチまではすぐです。

サンルーカル独特の石の基盤の上に載せられた熟成樽が収まったボデガで、フロール(産膜酵母)の膜の下からベネンシアで注ぎ出したマンサニーリャを飲み、従業員用の特別な樽の中のマンサニーリャも飲み、マンサニーリャ・パサダも飲み、最後に長期熟成アモンティリャドを飲み、お昼を食べる海岸通りバホ・デ・ギアのレストランへ向かいました。シーフードとマンサニーリャとのマリアージュは最高です。案内してくださった現当主フェルミン・イダルゴFermín Hidalgoさん、ありがとうございました。

 

この日の午後はラ・ヒターナにも近い「オルレアンス・ボルボンOrleans Borbón 」を訪問しました。

 サンルーカルの町はバリオ・アルト(上地区 Barrio alto)とバリオ・バホ(下地区 Barrio bajo)に分かれていて、アルト地区の方が古く、新大陸発見前、1468 ~ 1492年にかけて建てられたサンティアゴ城塞 Castillo de Santiago もアルト地区にあります。

ボデガ「オルレアンス・ボルボン」は微妙な位置にあります。ボデガはバホ地区にありますが、もともとはアルト地区にある大邸宅付随の厩舎と馬車の車庫だった部分です。この邸宅は19世紀半ばに王家の一族でモンペンシエル公爵のアントニオ・デ・オルレアンスとマリア・ルイサ・デ・ボルボン夫妻の別荘として建てられたものですが、1979年からはアルト地区の部分はサンルーカル市役所が使用しています。オルレアンス・ボルボン家が現在のボデガでワインとブランデーのビジネスに着手したのは1948年のことでした。今でもボデガの横の階段を上るとアルト地区に通じる門が残っています。現在ボデガはトーレブレバ・グループGrupo Torrebrevaという会社に運営されています。

優雅な貴族が熟成してきたワインということで、量産目的ではなく、良質の製品を世に出していこうという方針です。

*「シェリー・アカデミー研修ツアー2024-II」に続く。

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