「シェリー・アカデミー研修ツアー」2024年1月22日(月)~26日(金)第2部です。
<4日目>
大移動の日です。最初はサンルーカルへ向かいます。「コタ45 Cota 45」というアルト地区にある小さなボデガを訪問します。ボデガの名前は標高45mという意味で、畑の標高から採ったものです。
このボデガはもともとバホ地区のグアダルキビール川に近いところにあったのですが、手狭になったため現在のボデガに移転してきたとのこと。オーナー醸造家のラミロ・イバニェスRamiro Ibañezさんは今、注目の醸造家です。
実は彼が造っているワインはシェリーではありません。酒精強化していないからです。けれども基本は同じです。アルバリサ土壌の畑でパロミノ種の白ブドウを栽培し、発酵させてワインにし、樽で寝かせます。「もともとこの地方で住民が飲んでいたワイン」にもどった造り方をするというコンセプトです。かつてワインを輸出するには樽に詰め、船に積んで相手国まで運びました。長い船旅に耐えさせるために考え出されたのがアルコール添加です。けれども地元で飲む分には必要ありません。果汁を発酵させて出来たワインを飲めばいいのです。
ラミロさんは、これまでベースのニュートラルなワイン用のブドウとしか捉えられていなかったパロミノというブドウを、テロワールを表現したワインに仕上げようとしているのが大きなポイントです。ボデガに入るとまずアルバリサのサンプルを見せてくれます。これまでシェリーの産地の土壌はアルバリサと一口に呼ばれていましたが、実際にはアルバリサにも多くのタイプがあります。代表的な2つがレンテフエラとバラフエラです。レンテフエラはボロッと崩れやすいのでブドウの根が伸びやすい構造です。バラフエラは固い土壌が層になっているので、根は層の剥がれ目の狭い隙間にしか入り込めません。こういった生育状況の違いによって同じパロミノも異なった特性を持って熟成するので、それを表現したワイン造りをしているのです。今回は畑の見学をする時間がなかったので残念でしたが、畑違いのワインの違いは明らかでした。
次はチピオナに向かいます。サンルーカルから大西洋岸を南西に下っていく感じです。ここはモスカテルの本場です。モスカテルだけは海岸に近い砂質の畑で栽培されるため、海岸沿いのチピオナとチクラナという2つの町だけ、2022年のシェリーの仕様書改訂以前から、熟成出荷認定地域のヘレス、サンルーカル、エル・プエルトで熟成されなくてもシェリーと名乗っていいことになっていました。それだけモスカテルに特化した地域です。
今回はチピオナでは一番名前の知られたボデガ、「セサル・フロリドCésar Florido」を訪問します。ただ、残念なことに、畑の見学をプログラムに組み入れていたのですが当日キャンセルになってしまいました。チピオナの畑は砂質なので、ヘレスやサンルーカルの石灰質で真っ白なアルバリサとは違います。
ボデガはチピオナの町の普通の通りのガレージのような扉を開けると現れました。パティオには、冬は蔓だけになっていますが夏には日陰になるブドウ棚があったり、奥に古いスタイルのプレス機があったりして、どこか懐かしさが漂っています。奥にはティナハも残っていました。ここのティナハは今でもアンダルシアの内陸、コルドバ県にあるワイン産地モンティーリャ・モリーレスで使われているのと同じ、鉄筋コンクリート製の円筒型の巨大な壺です。ボデガは1887年創業で5代目が継いでいて、現在改装中とのことでした。
一旦外に出てワインを熟成している別のボデガへ移動。途中でビーチの目印になっている大きな十字架、クルス・デル・マルCruz del Mar(海の十字架の意味)も見学しました。セサル・フロリドのフィノ、アモンティリャド、オロロソ、クリームは「クルス・デル・マル」というブランド名を使っています。
次のボデガではモスカテルを試飲させていただきました。モスカテルはペドロ・ヒメネスと同じく、アルコール添加によって発酵を止めて。ブドウ果汁が持つ甘さを残して樽熟したものです。ただ、ブドウを天日干しするものとしないものがあります。する方はモスカテル・パサスといいます。パサスは干しブドウのことです。しない方はドラドと言います。金色という意味です。過熟した実を使って造るドラドの色はまさにゴールデンです。もうひとつのモスカテル・エスペシアルはドラドにアロぺArropeを加えてから熟成したものです。アロぺというのはブドウ果汁を直火で1/5まで詰めていったもので、真っ黒い色をしているため、混ぜられたドラドも真っ黒になります。
この日はチピオナのビーチにあるレストランで昼食。モダンなアレンジの料理で、とてもおいしかったです。スペインで最も高いチピオナの灯台の前を通って、次の訪問先へ向かいます。
エル・プエルト・デ・サンタ・マリアへは、米軍基地があるロタの町を右手にしてさらに南に下ります。少し早めに到着したので、町を散策。昔から気になりながら行けていなかった「ボデガス・オブレゴンBodegas Obregón」に入ることができました。ボデガなのでシェリーを熟成しています。そのシェリーはヘレスの「ルスタウLustau」社がアルマセニスタのシリーズの一つとして使っています。つまりワインの熟成はするけれどボトリングして発売はしない熟成貯蔵業者に分類されていたボデガです。最近は自社ブランド製品も発売しています。そのシェリーの熟成庫を解放して、そこで樽酒を飲めるバルにしているのがここ「ボデガス・オブレゴン」です。到着した時はまだ開店前だったのですが、ノックしたら開けてくれました。ラッキー!樽に囲まれて飲めるなんて、素晴らしい所です。
この日の最終訪問先は「グティエレス・コロシアGutiérrez Colosía」です。いつも元気いっぱいで迎えてくれるオーナー醸造家のフアン・カルロスJuan Carlos Gutiérrez Colosíaさんが、体調不良とのことで奥様のカルメンさんが案内してくださいました。1838年建造のこのボデガは、グアダレーテ川がカディス湾に流れ込む河口にあることからしっとりした海風を受けやすく、土地が低いこともあり、湿度が高く保たれています。そのため、特にフィノはマンサニーリャともヘレスのフィノとも違った独特のソフトでしっとり落ち着いた感じがあります。
そんなフィノがもとになっているアモンティリャドですが、50年以上熟成の「ソレラ・ファミリアルSolera Familiar」のシリーズのアモンティリャドになると素晴らしく深みが増し、大変エレガントなワインになります。この日はさらにソレラ・ファミリアルのシリーズのパロ・コルタドとオロロソも試飲させていたけるという素晴らしいおもてなしを受けました。最後はフアン・カルロスさんも出てきてくださって、皆で記念写真を撮りました。
<5日目>
研修最後の日はヘレスです。サン・ミゲルという教会があるフラメンコな地区にある小さなボデガ、「ファウスティノ・ゴンサレスFaustino González」から始まります。1972年創業のファミリー企業です。先代のファウスティノ・ゴンサレスFaustino González Aparicioが1789年に設定されたソレラを入手し、妻であるカルメン・ガルシア・ミエルCarmen García-Mierが所有していたボデガに収納したのが始まりでした。それが今でも続いているのがこのボデガです。現在ボデガを管理維持しているのは息子のハイメJaime Gonzálezさんとその兄弟です。
自社畑はヘレス・スペリオールに属するモンテアレグレというパゴにある7haです。ここでパロミノとペドロ・ヒメネスを栽培しています。ペドロ・ヒメネスを栽培している極々少数のボデガの一つです。
ファウスティノ・ゴンサレスは全て樽発酵です。冬に訪問すると、パロミノの果汁の発酵が終わってワインになった状態のモストMostoを飲ませてもらえます。
このボデガの製品のブランド名はクルス・ビエハCruz Vieja。この地域の名称です。フィノやアモンティリャドからペドロ・ヒメネスまで全てエン・ラマです。
次はヘレスの中でも町はずれにある「ヒメネス・スピノラXiménez Spínola」へ。ここはヘレスで唯一のペドロ・ヒメネス(PX)専門のボデガです。
シェリーのPXは、天日干しもしくは過熟したブドウの果汁の発酵をアルコール添加によって止めた、ビノ・ドゥルセ・ナトゥラルというタイプしかありません。このタイプはほとんどすべてのボデガが製品にしていますが、伝統的にPXの本場、モンティーリャ・モリーレスから買ったものをシェリーの産地のソレラのシステムで熟成すればシェリーと認められることになっています。そのためシェリーの産地にはPXの畑がごくわずかしかありません。
そんなヘレスでヒメネス・スピノラは1729年からワインの輸出をしていたとの記録がありますが、PXに関しての記録は1752年になるそうです。とはいえ18世紀半ばからPXに徹していたことになります。そんな功績が認められ「Denominación Varietal Pedro Ximénez de Acreditación Propiaペドロ・ヒメネス品種呼称固有証明(筆者訳)」を獲得しています。
現在は9代目のホセ・アントニオJosé Antonio Zarzanaさんが先頭に立って、さらなる進化を遂げています。その一例として「フェルメンタシオン・レンタFermentación Lenta」が挙げられます。ゆっくりした発酵という意味です。過熟させたPXをプレスし、皮や果肉と一緒に300ℓのフレンチオーク樽に少し入れて発酵させ、以後少しずつ果汁を足しては発酵させるという工程を繰り返し、完全に辛口のワインにします。もともと糖度の高いPXを過熟させてさらに糖度を上げ、それから辛口ワインを造るという、PX専門ボデガならではの発想でしょう。これはシェリーからは外れます。
PXの畑に囲まれた小高い丘の上にあるボデガでシェリー・アカデミー研修修了証書を受け取り、お昼をいただいて、ヘレスの町へと戻りました。
午後は各自自由に買い物や散策を、と思ってフリーにしていたのですが、どこから聞きつけたのか、「バルデスピノValdespino」のピラール・ガルシアPilar Garcíaさんから、ぜひボデガを見に来て欲しいとの連絡が入りました。そこで参加ご希望の方々と急遽タクシーでボデガへ向かいました。
バルでスピノのボデガはもともとヘレス市内にあったのですが、「ホセ・エステベスJosé Estévez」の傘下に入った1999年、ヘレスの環状道路の外にある同社のボデガに移転しました。ホセ・エステベスは1809年創業のボデガを1974年にエステベス家が入手し、1984年に社名をホセ・エステベスにしたものです。以後マルケス・デル・レアル・テソロMarques del Real Tesoro、フィノのティオ・マテオTio Mateo、そしてバルデスピノValdespino、後にマンサニーリャのラ・ギータLa Guitaのボデガを手中に収め、現在に至っています。
なかでも1264年を起源とするバルデスピノはブランド力があり、そのフィノ「イノセンテInocente」は、もとのボデガの手法を継承して、全て自社畑のパロミノを樽発酵しています。そのため現在の巨大な熟成庫の中でもかなりのスペースを占めています。
今回はそんなイノセンテの最初からアモンティリャドの「ティオ・ディエゴTio Diego」に至るまで、モスト(アルコール添加前)、熟成の程度の違うフィノ、それがアモンティリャドになる過程、そしてアモンティリャドを樽から試飲させていただきました。めったにない機会で、ツアーの締めくくりにふさわしい、素晴らしい訪問になりました。
帰りは、いつまで待ってもタクシーが来ないため、環状道路の外からヘレスの町の中心まで歩いて帰りました。これもまた新しい経験でした。
最後はヘレスのレストラン「メソン・デル・アサドール Mesón del Asador(直訳すると”焼き肉屋”)」でステーキにオロロソで完璧な締め、と言いたいところですが、あと2軒ハシゴしてシェリーを飲み、2024年の「シェリー・アカデミー研修ツアー」は終了しました。