「シェリー・アカデミー研修ツアー2025」の5日間のプログラム後半です。
1月23日(木)
最初はチクラナの「マヌエル・アラゴンManuel Aragón」https://www.bodegamanuelaragon.com/es です。チクラナは正式名がチクラナ・デ・ラ・フロンテラ。シェリーの認定地内では一番南に位置しています。この日はサリーナス(塩性沼沢地)と呼ばれる地帯を通ります。実際に塩田で天然の塩が作られていて、塩の山も見えました。大西洋の風が吹き抜ける海抜ゼロm地帯が広がっています。
到着したボデガ「マヌアル・アラゴン」はオレンジ色の壁に赤い枠の入り口、その前に広々とスペースが取ってあって、ゆったりした雰囲気です。ホームページの歴史を見ると、起源は1815年とのこと。ペドロ・アラゴン・モラレスがワインを造り、地元民に売り始めたのが始まりです。代々引き継いでいった後、20世紀に入ってから規模を拡大し、現在の地に移ってきました。本格的にワイン・ビジネスを始めたのはマヌエル・アラゴン・バイサンです。現在はその4人の息子たちが継承しています。今回案内して下さったのはその1人、セバスティアン・アラゴン・モレノSebastián Aragón Morenoさんです。
入り口にあるショップのスペースに飾ってあったのはパーカーポイント98点のワインと99点のワインの写真です。ボデガはシェリー熟成庫の基本に沿ったシンプルな作りでした。
試飲の後、ボデガの前の畑に移動。赤茶っぽい色の土で、ヘレス特有の真っ白なアルバリサとは全く違います。色は違うけれども同じだとのことでしたが、含有成分がかなり違いそうです。
ちょうど剪定が終わった時期で、古い畑で接ぎ木injertoをしていました。パロミノを植え替えるとき、まずフォロキセラに耐性のある台木を植えて、それが安定したところでパロミノを接ぎますが、芽escudeteを接ぐのは夏で、冬の時期は枝espigaを接ぎます。台木に切れ目を入れて、鋭く削いだ枝の先を差し込み、その箇所をヤシの葉を乾燥させたものを包帯のように撒いて固定します。これに土を被せて芽が出てくるのを待ちます。奥の畑では様々な品種のブドウを実験的に栽培していました。
ここではフロールを移植する道具も見せていただきました。フィノの表面に発生する酵母(フロール)は大変デリケートです。ちょっとしたことで弱ってしまうことがあります。薄くなったり穴が空いたりといった状態が発見された樽には、フロールの消失を防ぐために、元気なフロールを持っている樽からフロールを少しすくい出して入れます。するとフロールが活性化され、元の良い状態でフロールの膜を維持することができます。
町中のボデガ件レストランも訪れました。アンダルシアらしく闘牛士の写真がたくさん飾られたイベント・スペースの見学の後、樽の前でワインとアペリティフをつまみながらの交歓会のようになって終わりました。
15年熟成のアモンティリャド・エル・ネトAmontillado El Netoと17~20年熟成のオロロソ・ティオ・アレハンドロOloroso Tio Alejandroはボデガの歴史の中で重要な人の名前を採って付けた名前を持つ、うまみのあるワインです。
次はエル・プエルト・デ・サンタ・マリアの「グティエレス・コロシアGutiérrez Colosía」https://www.gutierrezcolosia.com/Espanyol/ を訪問します。チクラナからはプエルト・レアルやカディスの町を左手に、北に向かって走り、グアダレーテ川を渡って到着します。
グアダレーテ川は、シェリーの生産地を流れる2本の主要な川のうち、南部を流れる川です。ボデガはグアダレーテ川がカディス湾に流れ込む河口の川岸にあるのでしっとりした空気が漂っています。
「グティエレス・コロシア」は創業1838年で、ボデガの建物はこの時からずっと使い続けられてきたものです。現オーナーのグティエレス家の手に渡ったのは20世紀初めで、現当主の曾祖父の時代です。1969年に廃墟だったクンブレエルモサ伯爵邸を入手し、2棟の熟成庫にして使っています。
到着が遅れたため、まずお昼をいただき、その後でボデガを見学しました。カテドラルスタイルの天井が高い
建物で、樽は3段に積んであります。フロールのもとで熟成するタイプにとっては湿度が大切なので、常に地下からの湿気も伝わってくるこのボデガは最適です。“マンサニーリャはサンルーカル、フィノはエル・プエルト”と言われるのがわかる、シャキッと辛口ながら柔らかなまとまりのあるフィノが熟成されています。ちなみに内陸にあるヘレスは酸化熟成タイプのオロロソに向いているとされています。これは地理的気候的条件によるものです。
この日最後の訪問はヘレスの「バルデスピノValdespino」https://www.grupoestevez.es/valdespino.cfm?lang=es です。その歴史は13世紀、アルフォンソ・バルデスピノがレコンキスタ(国土回復運動)を率いる国王アルフォンソ10世に従ってヘレスにやってきて、1264年にヘレスを解放した際、国王から功績の褒賞として土地を与えられたのが始まりです。1430年にはワインの売買をしていた記録は残っていますが、ボデガとして創業したのは1875年です。スペイン王室御用達だけでなくスエーデン王室御用達でもあります。さらに1910年にはサクリスティアという言葉を商標登録しています。サクリスティはボデガの最も古く、品質の高い、家宝的なワインを熟成している蔵のことで、多くのボデガがサクリスティアを持っていますが、商品に名称として使えるのはバルデスピノだけとのことです。
1999年、バルデスピノはホセ・エステベスJosé Estévezに売却され、ワインは樽共々ヘレスの外周を回る環状線の外側に作られたホセ・エステベス・グループのボデガに移動されました。
このグループの中でもバルデスピノは特別なワインです。フィノの「イノセンテInocente」はマチャルヌド・アルトMacharnudo Altoというヘレスの中でも一番標高の高いパゴ(畑の区画)にある、最高品質のアルバリサ土壌の自社畑のブドウのみを使用し、樽発酵し、10段のクリアデラで平均樽熟期間8年以上を経たものです。フィノがさらに熟成を重ねてできるタイプ、アモンティリャドの「ティオ・ディエゴTio Diego」はフィノ「イノセンテ」の熟成工程の続きといえます。さらに8年間樽熟しています。
一番若いものから順番に樽から出して試飲させていただくと、時と共に白ワインからだんだんフィノらしくなってくる樽の中の変化が感じられます。さらにフロールがなくなってから酸化が進んでくる工程も大変興味深い変化です。ここではバルデスピノ家がボデガを所有していた当時と同じ製品を熟成し続けています。
これらのワインが熟成されているボデガは巨大です。1階は樽の森の中にいるような感じですが、2階のバルコニーから眺めると樽の海です。まさに圧巻!
1月24日(金)
最終日はヘレスです。この日は朝からかなり深い霧が立ち込めていました。少し先も霞む中、町の中心を通って「フンダドールFundador」https://bodegasfundador.site/ へ向かいました。
「フンダドール」のサイトで、その歴史は、“フンダドールはヘレス・デ・ラ・フロンテラで1730年に創設されたヘレスのブランデーとワインを生産する、ヘレス地域ではパイオニアで最も古い会社の一つです。”という文面で始まっています。
1730年はペドロ・ドメックPedro Domecq社のもとになる会社をアイルランド人のパトリック・マーフィーが創設した年です。その後フランス人のジャン・オーリーと組み、事業はオーリーの家系によって引き継がれましたが、1822年、外戚のペドロ・ドメックが事業立て直しとともに引き受け、ドメック社として創業したものです。けれども20世紀末、大きな変化が訪れます。1994年アライド・ライオンズに買収され、社名はアライド・ドメックに。さらに2005年にはペルノ・リカーに買収され、各ブランドはばらばらに売られていきました。メインの設備や畑はビーム・グローバルを経てサントリーに渡りました。そして2015年、フィリピンの酒造大手エンペラドールに売却され、2016年から社名を、ドメック社が生産していたブランデーのブランド名を取って「フンダドール」としています。現在シェリーはハーベイズHarveysとガーベイGarveyのブランドを持っています。「フンダドール」になってからボデガの設備は徐々に整備され、ミュージアムやレストランも整備されています。
今回の訪問で印象的だったのは、ドメック時代からヘレスの代表的なボデガとして紹介されてきた“ボデガ・デ・ラ・メスキータBodega de La Mezquita”の見学です。ヘレスのボデガは圧倒的に高い天井と、それを支える長い柱が立ち並ぶ光景がキリスト教の大聖堂を思わせるため、よく“カテドラル”と呼ばれます。けれどもこのボデガは少し違います。同じく高い天井・長い柱ではありますが、柱のアーチがイスラム・スタイルで、世界遺産のコルドバのメスキータのようだということからメスキータのボデガと呼ばれています。無数の微生物、フロールがワインの表面で密かに生きている樽を抱えた、真っ白なアーチの列は幻想的でもあります。
そのあとミュージアムを見学し、テイスティングルームでハーベイズのシェリーやフンダドールのブランデーを試飲させていただきました。「フンダドール・スプレモFundador Supremo」シリーズの12はもとPXを熟成していた樽で平均12年クリアデラとソレラのシステムで熟成したもの、15はアモンティリャド樽で15年、18年はオロロソ樽で18年熟成です。
次の訪問先へは城壁沿いに歩いて行きました。ボデガ「フェルナンド・デ・カスティーリャFernando de Castilla」https://fernandodecastilla.com/ は少量・高品質シェリーとブランデーの熟成に徹した、洗練されたボデガと言えます。オーナーはヤン・ピ-ターセンJan Petersenさん。ノルウェー人です。スペインにやってきたのは1983年で、エル・プエルトのオスボルネで働いていましたが、1999年に現在のボデガを入手して、独立しました。
「フェルナンド・デ・カスティーリャ」というのは13世紀、国土回復運動(レコンキスタ)でアンダルシアの多くの地域を解放した“聖人”とも呼ばれるカスティーリャ王国の王フェルナンドのことです。ボデガは1837年、オランダからスペインにやってきたアンドラダ・バンデルビルデ家が、この地でブドウ栽培とワイン造りを始めたのがもとになっています。「フェルナンド・デ・カスティーリャ」というブランドは1972年、同家のフェルナンドがブランデーを売り出すために作ったものです。現在はシェリー、ブランデー、シェリー・ビネガーを熟成・販売しています。
シェリーには2つのシリーズがあります。クラシックClassicは熟成期間が短いシリーズですが、フィノの平均熟成年数は5年、アモンティリャドは7年、オロロソは6年なので熟成感は十分あります。アンティケAntique(アンティック)のシリーズはフィノが9年、アモンティリャドとオロロソは20年熟成です。同シリーズのパロ・コルタドは30年熟成。いずれも大変洗練度の高いワインです。最近のお勧めは、この日もテイスティングさせていただいたフィノ・エン・ラマです。樽の中で熟成しているのと同じ味わいを保つため、冷却処理の清澄もしていないフィノです。ふくらみのある味わいですが、きれいに筋が通っているのがフェルナンド・カスティーリャらしさと言えるでしょう。
最後の訪問は「エミリオ・ルスタウEmilio Lustau」https://lustau.es/ です。アルマセニスタAlmacenistaのシリーズや、ヘレス、サンルーカル、エル・プエルトの3都市のフィノ・タイプのワイン、ドメック社から引き継いだラ・イナとリオ・ビエホ他、数多くのシリーズを持つボデガです。なかでも最近は3都市のフィノ・タイプのエン・ラマ・シリーズが人気です。
そもそもはホセ・ルイス・ベルデホという司法長官が自分の土地にブドウを植えてワインを造り、大きなボデガに売ったのが始まりで、創業は1896年です。1931年に娘のマリアがヘレスの町にボデガを買い、熟成庫を移動しました。それをヘレスの旧市街を囲むアラブの城壁を壁に使ったボデガに移したのが彼女の夫、エミリオ・ルスタウ・オルテガでした。当時は熟成したワインを大手に売るアルマセニスタでした。けれども1945年独自のブランドを立てて販売を始め、5年後には輸出するに至っています。80年代にはラファエル・バラオの指揮のもと、様々な革新の一つとしてアルマセニスタのシリーズが生まれました。1988年には伝統的なヘレスのボトルではなくスマートなデザインのボトルに変えています。そして1990年、ルスタウはエル・プエルトの「ルイス・カバリェーロLuis Caballero」に買収されることになりますが、経済的には力を得ます。2000年、ルスタウはヘレスの駅に近い地区に19世紀に建てられた熟成庫を何棟か持つ現在のボデガを買い、移転しました。
ルスタウの広報フェデリコ・サンチェスFederico Sánchezさんの案内で、美しく整備されたカテドラル様式のボデガをいくつか見学した後、ショップのあるホールへ移動。シェリー原産地呼称統制委員会会長のセサル・サルダーニャさんも登場し、シェリー・アカデミー2025の修了証書授与式が行われました。醸造家のセルヒオ・マルティネスSergio Martínezさんも加わって、タパスとシェリーでしばし歓談。セルヒオさんは、約15年ルスタウのボデガで働いてきた方で、インターナショナル・ワイン・チャレンジで世界最高の酒精強化ワインの醸造家に選ばれています。なかなかない機会を与えていただきました。
こうして2025年のシェリー・アカデミー最後の訪問は終了しました。
訪問を受け入れてくださったボデガの方々、ありがとうございました。
来年もシェリー・アカデミー研修ツアーは実施予定です。情報はシェリー委員会のホームページで発表いたします。ご参加お待ちしています。
シェリー委員会日本代表 明比淑子