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ゴヤとサンルーカル・デ・バラメダの特別な関係 Relación entre Goya y Sanlúcar

フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテス

Francisco de Goya y Lucientes (1746 ~ 1828)

 

ゴヤはスペイン北東部のアラゴン地方に生まれ、マドリッドの宮廷で活躍した画家です。終焉地はフランスのボルドーでした。

では、どこでシェリーと接点があるのでしょう。それはマンサニーリャの産地、サンルーカル・デ・バラメダです。 

 

 ゴヤは宮廷で王族をはじめとする貴族の肖像画をいくつも描いています。そのなかにアルバ女公爵XIII Duquesa de AlbaMaría Pilar Teresa Cayetana de Silva-Álvarez de Toledo1762 ~1802)と夫のビリャフランカ侯爵でメディナ・シドニア公爵であるホセ・アルバレス・デ・トレド(José Álvarez de Toledo y Gonzaga)もいました。ゴヤはこの二人の肖像画を描き、友好を深めていきます。1796年、夫が没した後もアルバ女公爵はゴヤとの親交を続け、別荘にゴヤを招いていました。それがサンルーカル・デ・バラメダだったのです。

 そんな頃サンルーカルで描かれた作品が「アルバムA – サンルーカルの小冊 Cuadrno pequeño de Sanlúcar」と「アルバムB -サンルーカル・マドリッドの小冊 Cuadrno pequeño de Sanlúcar -Madrid」です。Aに描かれていのは、アルバ女公爵であろうと思われる日常の女性の姿が主で、「髪を整えるアルバ女公爵」という絵もあります。

1797年にゴヤが描いた彼女の黒いドレス姿の絵のバックは、サンルーカルの向かいのドニャーナ (1994年ユネスコ世界自然遺産認定のドニャーナ国立公園) だと言われています。この絵で彼女の手の2つの指輪にはゴヤ、アルバと記され、彼女が指差す砂地にはSolo Goya(ゴヤだけ)と書かれています。

 

また真相はわかりませんが、着衣のマハ、裸のマハのモデルはアルバ女公爵だったとも言われています。

 

サンルーカル・デ・バラメダはゴヤにとって特別な地だったのです。

 

シェリー委員会 明比淑子

Sherry Committee Delegat

Yoshiko Akehi

参考資料:http://es.wikipedia.org/wiki/Francisco_de_Goya

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